昭和45(ワ)2118 日立製作所採用取消事件(国籍・民族差別・内定取消)昭和49年6月19日 横浜地方裁判所
日立製作所採用取消事件・解説
概要
裁判所: 横浜地方裁判所(裁判官:石藤太郎・佐藤歳二・山野井勇作)
判決日: 昭和49年6月19日
在日朝鮮人の原告が日立製作所ソフトウエア工場に応募し採用通知書を受け取ったにもかかわらず、朝鮮人であることが判明すると採用が取り消された事案。原告は日本名(通称名)を使用し、本籍欄に出生地を記載して応募していた。横浜地裁は、==「一般外国人は雇わない」という真の理由は原告が在日朝鮮人(国籍)であることにあり、これは労働基準法3条に違反する公序違反として無効==と判断し、地位確認・未払賃金・慰謝料の支払を命じた。国籍・民族を理由とする内定取消しを違法とした就職差別の代表判例。
法的根拠: 労働基準法3条(国籍・社会的身分を理由とする差別禁止)、民法90条(公序良俗)
事件番号: 昭和45年(ワ)第2118号(提訴・第一審)
出典: 裁判所ウェブサイト判例情報等
1. 当事者
原告
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 属性 | 在日朝鮮人(昭和26年11月24日愛知県西尾市生まれ) |
| 通称名 | H(日本名) |
| 本名 | E(朝鮮名) |
| 学歴 | 愛知県立碧南高等学校卒業(昭和45年3月) |
| 資格 | 商業科出身、珠算三級・簿記一級 |
| 前職 | 株式会社津田鈑(約2週間)→株式会社ヒカリ製作所 |
被告
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 使用者 | 日立製作所株式会社 |
| 採用部門 | ソフトウエア工場(横浜市戸塚) |
| 募集形態 | 臨時員(2か月期間の有期雇用)の公募 |
2. 事実関係
| 時期 | 事実 |
|---|---|
| 昭和45年8月19日 | 被告が朝日新聞に従業員募集広告を掲載(「登用制度あり」と記載) |
| 同8月23日 | 原告が名古屋営業所で筆記・面接試験を受験。履歴書の本籍欄に「愛知県西尾市…」(実際は出生地・両親住所)と記載、氏名欄に「H」(通称名)と記載 |
| 同9月2日 | 被告が原告宛に採用通知書を発送(「H」宛に「御採用申し上げることに決定致しました」と記載、赴任日・携行品等を詳細に指定) |
| 同9月4日 | 採用通知書が原告に到達 |
| 同9月15日 | 原告が就労のための問い合わせの電話をした際、「自分は在日韓国人で戸籍謄本が取れない」と告知 |
| 同9月15日 | 被告の勤労課主任Fが「採用通知は保留にしておいてくれ」と伝える |
| 同9月17日 | FがΥ「当社は一般外国人は雇わない方針だ。最初から本当のことを書いていたらこんなことにならなかった」として採用取消を通告 |
| 同9月17日 | 被告が原告の高校の担任教師Kに電話して朝鮮人であることを確認し、就職断念を説得するよう依頼 |
| 原告 | 同年9月15日限りヒカリ製作所を退職済み(採用内定後に前職を退職していた) |
3. 争点と判断の流れ
争点① 採用通知書の発送で労働契約が成立したか
被告の主張: 採用通知書の発送は「労働契約の予約」にすぎず、必要書類の持参・出社・書面による労働契約書の締結をもって初めて成立する。
裁判所の判断:
採用通知書の記載(「御採用申し上げることに決定致しました」)、寝具送付・転出証明書等の詳細な指示、採用試験から出社日まで2週間余しかなかった緊急性等を総合勘案し:
==採用通知書が発送されたことにより、被告の原告に対する労働契約締結承諾の意思表示がなされたものと解するのが相当。昭和45年9月2日に原告・被告間の労働契約が成立した。==
なお、臨時員(期間2か月・通常更新される)として採用されたと認定。
争点② 採用取消(解雇)の理由は何か
被告の主張: 本籍・氏名を詐称したことによる採用取消・懲戒解雇。
裁判所の認定:
採用取消(解雇)の**真の決定的理由は原告が在日朝鮮人であること(国籍)**にあったと推認。根拠:
- 原告が在日朝鮮人であると告げた直後に「保留にしてくれ」と即座に保留にした
- 採用取消通知で「一般外国人は雇わない」と明言
- 取消後、担任教師に電話して朝鮮人であることを確認
- 採用取消を避ける方向での救済策を講じた形跡がない
争点③ 「本籍詐称・氏名詐称」による解雇・懲戒解雇は有効か
裁判所の判断(解約権留保の行使):
採用通知書の留保解約権の趣旨は、労働力の資質・能力の客観的合理的誤認または企業内に留めておけないほどの不信義性がある場合に限り解約権行使が許されるもの。
| 詐称事項 | 評価 |
|---|---|
| 本籍(出生地を記載) | 在日朝鮮人には日本戸籍法上の「本籍」がない。日本名を使い本籍を伏せることは社会的強制の結果であり、企業内に留められないほどの不信義性はない |
| 氏名(通称名「H」を使用) | 出生以来日常的に用いてきた通用名であり「偽名」とはいえない |
| 職歴(津田鈑勤務を未記載) | 2週間の短期勤務・別職種。面接担当者も職歴は採否に影響しないと説明していた。解約権行使の重要事由にならない |
==原告には被告の臨時員として留めておくことができないほどの不信義性はない。留保解約権の行使は許されない。==
懲戒解雇についても:
留保解約権の行使すら許されない以上、それより要件が厳しい懲戒解雇も当然に許されない。
争点④ 解雇の実質的理由(国籍差別)と公序良俗
裁判所の判断:
==被告の原告に対する解雇の真の決定的理由は、原告が在日朝鮮人であること(国籍)にあった。労働基準法3条に牴触し、公序に反するから、民法90条によりその効力を生じない。==
4. 結論(主文)
- 原告が被告に対し、労働契約上の権利を有することを確認する
- 被告は原告に対し、172万6224円(未払賃金合計122万6224円+慰謝料50万円)及び遅延損害金を支払え
- 昭和49年2月1日以降本判決確定に至るまで毎月25日限り、月額3万2104円の割合による金員を支払え
- ※「本判決確定の翌日以降の将来賃金分」については、判決確定後は任意の履行が期待できるとして却下(現在の将来請求制度の整理)
- 訴訟費用は被告の負担
5. 判決のポイント
- 採用取消の「真の理由」認定 — 表面上は「書類詐称」を理由とするが、在日朝鮮人と判明した直後の一連の対応から、国籍が唯一決定的な理由であると推認した。
- 在日朝鮮人が日本名・出生地を使用することの「同情すべき動機」 — 日韓の歴史的経緯、戦前の「創氏改名政策」、戦後の大企業による就職差別の実態を詳細に認定し、通称名使用・本籍記載が詐称であっても不信義性の程度が軽微と判断。
- 採用内定(採用通知書)で労働契約成立 — 「採用通知書」の文言・内容・採用手続の実態から、発送時点で承諾の意思表示があったと認定。内定取消=解雇。
- 臨時員(有期・更新)としての地位 — 正社員(所員)ではなく臨時員(2か月の期間の定め)としての採用と認定したが、通常更新されることも認め、地位確認・賃金請求を認容。
- 慰謝料50万円 — 国籍のみを理由とする違法解雇・民族的差別による精神的苦痛を認め、50万円の慰謝料を認容。
- 就職差別の歴史的・社会的文脈 — 判決は在日朝鮮人の形成過程(強制連行等)、就職差別の現実、二つの氏名の問題等を詳細に判示し、差別構造を明確に批判した先駆的判決。
6. 法的根拠
適用条文
| 条文 | 内容 | 本件での役割 |
|---|---|---|
| 労働基準法3条 | 国籍・信条・社会的身分を理由とする賃金・労働時間等の差別禁止 | 国籍(在日朝鮮人)を理由とする解雇が同条に牴触し公序違反 |
| 民法90条 | 公序良俗違反の法律行為は無効 | 採用取消・懲戒解雇の無効根拠 |
関連する法規範(判決が参照)
| 規範 | 本件での位置付け |
|---|---|
| 憲法14条 | 国籍・社会的身分による差別禁止(公序の基礎) |
| 臨時員就業規則72条24号・27号 | 経歴詐称等の懲戒解雇事由(本件では適用不可と判断) |
7. 実務上の示唆
使用者側
- 国籍・民族を理由とする採用拒否・内定取消は労働基準法3条に違反する公序違反として無効。
- 「書類の記載と実際が異なる」という形式的な理由で採用取消をする場合でも、その「真の理由」が国籍等の差別にある場合は解雇無効となる。
- 在日外国人が通称名や出生地を使用することの社会的背景を理解する必要がある。
労働者側
- 採用通知書が具体的な就労条件(赴任日・持参品等)を明示して発送されていれば、その段階で労働契約が成立し、内定取消は解雇として違法となりうる。
- 国籍・民族を理由とする採用取消(解雇)については、地位確認・未払賃金・慰謝料の請求が可能。
- 通称名の使用・出生地の記載は、在日外国人の置かれた歴史的・社会的状況に照らし、「不信義性の程度が軽微」と評価される余地がある。
8. 関連キーワード
日立製作所、在日朝鮮人、採用取消、内定、国籍差別、民族差別、就職差別、通称名、本籍詐称、労働基準法3条、公序良俗、民法90条、臨時員、慰謝料、創氏改名
9. 関連ナレッジ
| ナレッジ | 関係 |
|---|---|
| 労働基準法3条 | 国籍等を理由とする労働条件差別の禁止規定 |
| 外国人の採用差別禁止(行政通達) | 本件後の行政指導・通達の整備 |
本ナレッジは判決解説の整理であり、個別の法的助言ではありません。
10. わかりやすい法的根拠解説
事件の構図
flowchart TD
A["昭和45年8月\n日立製作所がソフトウエア工場の\n臨時員を新聞広告で募集"] --> B["原告(在日朝鮮人)が応募\n通称名「H」・本籍欄に出生地を記載"]
B --> C["昭和45年9月2日\n採用通知書を受け取る\n→ここで労働契約成立"]
C --> D["昭和45年9月15日\n「戸籍謄本が取れない。自分は在日韓国人」と告知"]
D --> E["即座に「保留にしてくれ」→\n翌々日「一般外国人は雇わない方針」として取消"]
E --> F["裁判所の判断\n真の理由は「国籍」\n→労基法3条違反・公序違反→無効"]
なぜ「通称名使用」「本籍詐称」が解雇理由にならなかったか
裁判所は在日朝鮮人が置かれた歴史的・社会的状況を詳細に認定しました。
| 詐称とされた事項 | 背景・判断 |
|---|---|
| 氏名欄に「H」(通称名) | 日本名は出生以来日常的に使用。「偽名」とはいえない。戦前の「創氏改名政策」により強制された歴史がある |
| 本籍欄に出生地を記載 | 在日朝鮮人には日本の戸籍法上の「本籍」がない。本名・国籍を申告すれば就職差別を受けることが分かっていた |
| 津田鈑勤務を記載しなかった | 2週間・別職種。面接担当者も「職歴は採否に影響しない」と説明済み |
裁判所の評価:
==在日朝鮮人である原告が被告会社に就職したい一心から、自己が在日朝鮮人であることを秘匿して日本人らしく見せるために通用名・出生地を申告したとしても、我が国の大企業が在日朝鮮人であるというだけの理由でこれを採用拒否し続けているという現実等を考慮すると、原告が右詐称等に至った動機には極めて同情すべき点が多い。==
「採用通知書」で契約が成立した理由
flowchart LR
A["採用通知書の内容"] --> B["「御採用申し上げることに\n決定致しました」という文言"]
A --> C["赴任日・赴任場所・出社日時\nを具体的に指定"]
A --> D["寝具持参・転出証明書\n(転出先を入寮先に)等を要求"]
A --> E["採用試験〜出社まで\n2週間余という短期間"]
B --> F["承諾の意思表示と解釈"]
C --> F
D --> F
E --> F
F --> G["昭和45年9月2日に\n労働契約成立\n→取消=解雇(無効)"]
労働基準法3条と公序良俗
flowchart TD
A["労働基準法3条\n「使用者は国籍・信条・社会的身分を理由として\n労働条件について差別的取扱をしてはならない」"] --> B["強行規定・公序規定"]
B --> C["国籍を理由とする解雇は\n民法90条の「公序」に反する"]
C --> D["解雇の意思表示は\n効力を生じない"]
D --> E["原告は依然として\n日立製作所の臨時員の地位を有する\n→地位確認・未払賃金・慰謝料の請求"]
本判決の歴史的意義と現代への影響
| 側面 | 内容 |
|---|---|
| 在日外国人の就職差別 | 「国籍を理由とする採用拒否・取消は違法」という先例を確立 |
| 内定(採用通知書)の法的性格 | 採用通知書発送時に労働契約が成立するという法理を確認 |
| 通称名・出生地記載の評価 | 在日外国人が置かれた歴史的・社会的状況を踏まえた詐称の評価基準 |
| 真意の立証 | 表面的な詐称理由の背後にある「真の差別意図」を状況証拠で認定 |
本判決は、朝鮮人を「一般外国人は雇わない」として追い返した企業側の行為が違法であると認定した初期の重要判決として、その後の外国人労働者・在日外国人に対する就職差別禁止法制の整備と雇用実務に影響を与えました。
本節は判決解説の法的根拠を初学者向けに整理したものです。個別事件の法律相談・訴訟代理ではありません。