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昭和52(ワ)1168号等 日本シェーリング事件(稼働率条項・公序違反)昭和56年3月30日 大阪地方裁判所

日本シェーリング事件・解説

概要

裁判所: 大阪地方裁判所

判決日: 昭和56年3月30日

医薬品メーカーである日本シェーリング株式会社(被告)と日本シェーリング労働組合(日シ労組)との間で締結された賃金引上げ協定には、「稼働率80パーセント以下の者を賃金引上げ対象から除外する」旨の条項(本件80パーセント条項)が含まれていた。この条項の不就労時間の算定に、年次有給休暇・生理休暇・産前産後休暇・育児時間・労働災害による休業及び通院・ストライキ等の組合活動が含まれていた。裁判所は、==これらの法律上認められた権利行使を理由として賃金引上げにおいて不利益な取扱いをすることは、労働基準法等の各規定に違反し、または公序良俗(民法90条)に反するとして本件80パーセント条項を無効==とし、妥結月払条項も無効とした。本判決は最高裁平成元年12月14日判決(日本シェーリング事件・最二小)の原審であり、稼働率条項・公序違反の代表判例は最高裁判決である。

法的根拠: 民法90条(公序良俗)、労働基準法39条(年次有給休暇)・同67条(生理休暇)・同65条(産前産後休暇)・同66条(育児時間)・同75〜77条・19条(労働災害)、憲法28条・労働組合法7条(争議権・不当労働行為)

出典: hanrei-pdf-19473.pdf


1. 当事者

原告ら(労働者)

項目 内容
属性 日本シェーリング株式会社の従業員で、日シ労組の組合員
人数・構成 請求債権目録1〜4に記載の数十名(うち頸肩腕障害労災認定患者15名を含む)
主な請求 昭和51〜54年度の賃金引上げ相当分の賃金・一時金・退職金の支払(雇用契約上の権利として第1次的に、不法行為に基づく損害賠償として第2次的に)

被告(使用者)

項目 内容
商号 日本シェーリング株式会社
事業内容 西ドイツのシェーリングAG等から医薬品の輸入・製造・販売
規模 全国29か所に営業所、従業員約800名
労働組合構成 日シ労組(組合員約95名・当時)、全日シ労組(多数)、守る会(非組合員組織)

2. 事実関係

時期 事実
昭和45年11月 日シ労組(総評化学同盟加盟)結成。被告は数週間後に全日シ労組を結成
昭和50年〜 被告が日シ労組に対し昇給昇格差別等の不当労働行為開始。「Z計画」による組合員減少化策
昭和51年8月6日 昭和51年度協定成立(昭和50年度基本給対比平均8.8%引上げ)。80パーセント条項・妥結月払条項を含む
昭和52年6月30日 昭和52年度協定成立(平均10%引上げ)。80パーセント条項・妥結月払条項を含む
昭和53年4月28日 昭和53年度協定成立(平均8%引上げ)。80パーセント条項を含む
昭和54年4月27日 昭和54年度協定成立(平均8.6%引上げ)。80パーセント条項を含む
各年度 被告は、別紙目録記載の原告らの稼働率が80%以下であるとして、賃金引上げの対象から除外。不就労時間には年次有給休暇・生理休暇・産前産後休暇・育児時間・労働災害による休業及び通院・ストライキ等が含まれる
各年度 被告は全日シ労組・守る会員には速やかに妥結・賃金引上げを実施。日シ労組員には団交拒否・遅延の末に協定締結
昭和52年3月 別紙目録1・2の原告らが本訴提起(昭和52年(ワ)第1168号)

80パーセント条項の算定方法(争いのない事実): 前年1月〜12月の所定労働時間から不就労時間を控除した時間÷所定労働時間。年間所定労働日数は約270日(365日-年間休日95日)。80%未満=約54日以上の不就労。


3. 争点と判断の流れ

争点① 80パーセント条項の効力(中心的争点)

各不就労事由ごとの判断

不就労事由 法的位置付け 裁判所の判断
年次有給休暇 労基法39条による法律上の権利 年次有給休暇取得権は要件充足で法律上当然に発生。これを理由とした不利益な取扱いは労基法39条に違反し許されない
生理休暇 労基法67条による法律上の権利 生理休暇権の行使を理由とした不利益な取扱いは許されない。賃金の支払いを有給とするかは別問題
産前産後の休暇 労基法65条による法律上の権利(年休算定では出勤とみなされる:39条5項) 産前産後の休暇を理由とした不利益な取扱いは許されない
育児時間 労基法66条による法律上の権利 育児時間を理由とした不利益な取扱いは許されない
労働災害による休業・通院 労基法75〜77条・19条・39条5項の趣旨 使用者は労働災害による不就労を理由とした不利益な取扱いをしてはならない(スライド制の趣旨からも、賃金引上げ拒否は許されない
ストライキ・団体交渉 憲法28条・労組法7条の保障 ストライキ等による不就労を理由とした将来の賃金引上げ拒否は、争議権・団体交渉権を理由とした不利益な取扱いであり、労組法7条に違反する
就業時間中の組合活動 原則として就業時間外に行うべき 例外的場合(使用者の承認等)を除き就業時間中の組合活動による不就労を一般欠勤と同様に扱うことは許されない

80パーセント条項の総合評価

==本件80パーセント条項は、年次有給休暇等の法律上認められた権利行使を理由に不利益な取扱いを定め、かつ現実にその権利行使を抑制する機能を有しており、強行法規である労基法39条・67条・65条・66条・75〜77条・19条、憲法28条、労組法7条等の各規定ないしその趣旨に違反し、ひいては民法90条の公序良俗に反するとして当然無効==とした。

被告の主要な反論とそれへの判断:

被告の反論 裁判所の評価
「年休を全部取り80%を超えられる計算だから問題ない」 産前産後・労災・ストライキ等と組み合わさると超えることがある。計算上大丈夫でも条文の趣旨に反する
「日シ労組が協定に同意した(禁反言)」 強行法規違反の条項を労働者が包括的に承諾しても、それは無効。労働組合も個々の労働者の権利行使を妨げる協定を締結する権限はない
「稼働率向上という正当目的がある」 目的が正当でも、強行法規に違反する手段は許されない
「全日シ労組も同内容の協定を結んでいる」 他の組合が合意していても、条項の違法性は消えない

争点② 妥結月払条項の効力

被告は、80パーセント条項を日シ労組が受け入れない限り賃金引上げ交渉に応じないという強硬姿勢をとりつつ、妥結月払条項(賃金引上げの実施を妥結月からとする)を提示した。

裁判所は、強行法規違反の無効な80パーセント条項の受諾を強要しながら賃金引上げ実施時期を遅らせることは、強行法規秩序・信義則に反するとして、昭和51年度・52年度の妥結月払条項を無効とした(不当労働行為にも当たる)。昭和53年度以降は別途検討なし。

争点③ 80パーセント条項が無効でも協定全体が無効にならないか

被告は、80パーセント条項が無効なら協定全体が無効になると主張(停止条件論・要素の錯誤論)。

裁判所は、①80パーセント条項は賃金引上げ率等の条項の一つに過ぎず、②条項全体が無効になるという合意の実質はない、③労基法等の強行法規は労働者保護のためのものであり、会社が持ち出した無効条項を理由に全体を無効とすることは法の趣旨に反する、として80パーセント条項のみが無効、他の条項は有効と判断した。


4. 結論(主文)


5. 判決のポイント

  1. 法定の権利行使を不就労時間に算入した稼働率条項は公序違反 — 年次有給休暇・生理休暇・産前産後休暇・育児時間・労災休業・ストライキ等を不就労として稼働率計算に組み込み、賃金引上げを制限する条項は、各強行法規・公序良俗に反して無効。
  2. 労組による包括的な承諾でも強行法規違反は治癒されない — 労働者の個人的権利(年次有給休暇等)の行使を妨げる効果をもつ条項は、労働組合が承諾・追認しても有効とならない。
  3. 強行法規違反条項が無効でも協定全体は有効 — 無効条項のみを切り離し、賃金引上げ率等の有効部分はそのまま効力を維持する。
  4. 妥結月払条項と不当労働行為の結合 — 強行法規違反条項の受諾を強要しつつ賃金引上げ実施時期を遅らせることは、信義則・強行法規秩序違反であるとともに、不当労働行為にも当たる。
  5. 慰謝料・弁護士費用は金銭債務の不払いの場合は認容されない — 金銭債務不履行の損害賠償は民法419条の範囲に限られ、それを超える精神的損害・弁護士費用は原則として認められない。

6. 法的根拠

条文テーブル

条文 内容 本件での役割
民法90条 公序良俗違反の法律行為は無効 80パーセント条項の無効根拠(総括)
労働基準法39条 年次有給休暇の権利 年休取得を不就労算入することの違法根拠
労働基準法67条 生理休暇の権利 生理休暇を不就労算入することの違法根拠
労働基準法65条 産前産後休暇の権利 産前産後休暇を不就労算入することの違法根拠
労働基準法66条 育児時間の権利 育児時間を不就労算入することの違法根拠
労働基準法75〜77条・19条 労働災害補償・解雇制限 労災休業・通院を不就労算入することの違法根拠
憲法28条 労働者の団結権・団体交渉権・争議権 ストライキ等の不就労算入を違法とする根拠
労働組合法7条 不当労働行為の禁止 組合活動を理由とした不利益取扱い禁止

引用先例

先例 裁判所・日付 内容
最高裁昭和48年3月2日 民集27巻2号191頁 年次有給休暇権は要件充足により法律上当然に発生する
日本シェーリング事件・最高裁平成元年12月14日 民集43巻9号1773頁 法定権利行使を不就労に算入する稼働率条項は公序違反で無効(本件地裁判決の上告審)

7. 実務上の示唆

使用者側

労働者側


8. 関連キーワード

日本シェーリング事件、稼働率条項、80パーセント条項、公序良俗、年次有給休暇、生理休暇、産前産後休暇、育児時間、労働災害、ストライキ、不当労働行為、妥結月払条項、労働基準法39条、民法90条


9. 関連ナレッジ

ナレッジ 関係
トーコロ事件 三六協定の労働者代表の適法性
年次有給休暇の権利行使 年休権の発生要件・行使妨害の禁止

本ナレッジは判決解説の整理であり、個別の法的助言ではありません。


10. わかりやすい法的根拠解説

本節は、判決の法的根拠を初学者向けに整理した解説です。§6の条文一覧と併読してください。

この事件で何が問題になっていたか(大枠)

会社が締結した賃金引上げ協定には「稼働率80%以下の人には賃金引上げをしない」という条項がありました。この稼働率の計算に、有給休暇・生理休暇・産休・労働災害による休業・ストライキなどが「不就労時間」として含まれていました。

つまり、法律で認められた権利を行使すると賃金が上がりにくくなるという仕組みです。これは許されるでしょうか。


① なぜ権利行使を「不就労」として算入してはいけないのか

flowchart TD
  A["年次有給休暇\n生理休暇\n産前産後休暇\n育児時間\n労働災害\nストライキ"] -- "これらを\n取得・行使する" --> B["不就労時間に算入"]
  B --> C["稼働率が80%を下回る"]
  C --> D["賃金引上げの対象外"]
  D --> E["事実上\n権利行使を\n抑制する効果"]
  E --> F["強行法規・公序良俗違反\n→ 条項無効"]

それぞれの権利の位置付け:

権利 根拠法令 特徴
年次有給休暇 労基法39条 要件充足で自動的に発生する権利。行使妨害は違法
生理休暇 労基法67条 女子労働者の保護規定。請求があれば就労させてはならない
産前産後の休暇 労基法65条 母性保護のための保護規定。年休の出勤日数計算では出勤扱い
育児時間 労基法66条 生後1年未満の乳幼児を育てる女子の権利
労働災害による休業 労基法75〜77条・19条 使用者責任による補償。賃金スライド制の趣旨あり
ストライキ・団体交渉 憲法28条・労組法7条 憲法上の権利。不利益取扱いは不当労働行為

② 権利行使を「理由として」不利益に扱ってはならない

ここで重要なのは「不就労だから賃金が払われない」(ノーワーク・ノーペイの原則)と「権利行使したことを理由として将来の賃金引上げを制限する」は、全く別の問題だということです。

許されること 許されないこと
年次有給休暇中は別途計算した額を支払う 年次有給休暇を取得したことで翌年の賃上げを制限する
ストライキ中は賃金を支払わない ストライキをしたことで将来の昇給に影響させる
労災休業中は休業補償(60%)のみ支払う 労災休業で稼働率が下がることで賃上げ対象外にする

退職まで続く影響の大きさ: 賃上げのベースを下げると、以後定年まで毎年の給与が低くなります。一時的な権利行使が永続的な不利益につながることが、特に問題視されました。


③ 協定の有効部分と無効部分の切り分け

flowchart LR
  A["賃金引上げ協定"] --> B["80パーセント条項\n(公序違反・無効)"]
  A --> C["賃金引上げ率\n配分方法\n実施時期等\n(有効)"]
  B --> D["この部分だけ無効"]
  C --> E["この部分は効力維持\n→ 原告らに賃金引上げ分を支払え"]

会社は「条項の一部が無効なら協定全体が無効になる」と主張しましたが、裁判所は:

と判断し、有効部分だけを切り取って原告らへの賃金引上げを認めました。


④ 争点と条文の対応表(逆引き)

争ったこと 見るべき法理・条文
年次有給休暇算入の可否 労基法39条(発生・行使妨害禁止)
生理休暇算入の可否 労基法67条(就労禁止義務)
産前産後・育児時間算入の可否 労基法65条・66条(母性保護)
労災休業算入の可否 労基法75〜77条・19条(補償義務・解雇禁止)
ストライキ算入の可否 憲法28条・労組法7条(争議権・不当労働行為禁止)
協定全体が無効か 民法の契約解釈・強行法規保護の趣旨
妥結月払条項の有効性 信義則・強行法規秩序・不当労働行為(労組法7条)

本節は判決解説の法的根拠を初学者向けに整理したものです。個別事件の法律相談・訴訟代理ではありません。